MY LIFE

みなさんMCFAJのレースに出て腕試しをしてみませんか?
MCFAJのレースは、ライセンス所持者全員で作るアマチュアレースです。仕事を持ちながらレースを趣味としてやるには最高です。
たぶん勝つ事だけがレースでは無いことが解ると思います。レースに関するアドバイスもいたします。

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制作記も写真付きで書いていきます。Zのページ

むかし、むかし

2008年11月30日  久々に筑波サーキットに行ってきました。
谷口さんとの話で「来年は三宅島のイベントに出場しなさいよ!」と言われ「はい」なんて返事しちゃいました。
去年の忘年会にも新津さんと出席くださり有難う御座いました。
今年もどうですか?
オートバイに対して凄く熱い方です(当たり前ですが)、未だに衰えない情熱を感じさせられます。
私も頑張らなくては!!!!!!!!!!
   

2007年11月23日 筑波サーキット
最近レースをアップしていませんでしたので久しぶりで載せます。
結果は良くありませんでしたが出場しました。
クラブマン2&4の30番が私です。
体がデカイ!ツナギが汚い?
写真

2007年9月30日   富士

29日は富士食堂改め富士レストランでお泊り!
須走でも宿は確保出来たのですがバスで行く為遠くなっちゃうので止めました。
おにぎりまで作ってもらっちゃって有難う御座いました。
場所は富士からR246バイパスを東京に向かって旧道と交差する所の右側に有ります。
せがれは「みつぐ」と言って歌手なんです。
サブロクという名前でデュオで何曲かCDを出したのですが現在はソロで歌っています。

ARROW RACING(ユーノスのレースでは有名?)さん(私とは30年以上の付き合いになります)も一緒でした。

2007年6月10日 富士のレース
出場しないのに行ってきました。
OXレーシングのマシンじっくり見てまたがって見ました。
ハマー改め仮面ライダーも登場したりして、仲間の孫なんか近すぎて泣いたりして!
サイクロン号を私が作るんですか?

三井さんのエンジンに乗せ変えたりして、あさって3時間富士を貸しきっているんですって!凄い金額でしょうね?

多摩テックモンキーミーティングに行って来ました  2007年5月27日
朝からスパでビール三昧でした

ブリヂストンの走行会に皆で行って来ました 2006年11月24日

2004年2月11日  MCFAJ筑波のレース
私のマシンは改良の余地が有りますね、この2レース続けて転んだんですが(このマシンを作ってから3度目)!
転んだ時の感覚が、3レースとも可笑しいんです、いきなりリアが逃げたんです、何十年も乗ってきて、こんな感覚は初めてです。
始めは、雨の中、川に乗って転んだと思ったんです、しかしフロントは全然滑っていなかったのに?2位回目はコース脇のゴミにでも乗ったのかと思っていたんです、3回目、今回で気付きました。(気付くのが遅いってか?)
フロントのアライメントを合わせただけでは、駄目なんですね!
思い直すと筑波の最終で、大したスピードでもないのにリアが、ズズズでは無く、スッと滑る事が有ったんです、タイヤのせいかと思っていたんですが、タイヤが悪くったって今までの経験だとズズズと滑るはずなんですよ!(時間が経ったタイヤや冷えたタイヤで無ければ)
乗車時の重心の位置が悪かったものと思われます、フロントを5センチも下げたのですからそんな事も起きるかも?(トレールは三又のオフセットで合わせたのですが)
又、1から作り直しです!「いい年して転んでるんじゃねーよ!」って言う感じですね、又一つ身をもって勉強出来ましたがね!
転ぶ前の写真

今回も輝井章登場!真中の真中が輝井さんです、元、我がチームのチーム員、輝井さんの後輩、有名人のI さん(プライベートなのに写真すみませんでした)
MCFAJは、オートバイが好きな人間の集まりですね!心地よい時間を過ごせます。

2003年12月7日筑波サーキットMCFAJレース

因泥君3位   山中選手1位0秒切れて良かったですね!

佐藤選手1位   私の言っていることが解ったようですね?本番では出来ていましたね!
輝井選手登場!毎回ロシア人の綺麗なオネーちゃん2人連れで華やかですね!
今回は私は出場しませんでした。

2003年10月5日  菅生6時間耐久レース

我がチームのホープ因泥君大破!
練習に行っているのですから、しょうがありませんが!
もう一台のマシンも、帰りが遅くなるので、ゴールを待たずして退却!

このレース右手を怪我していて、まともに走れませんでした。
Bコーナーで右手の感覚が無くブレーキが効かなく飛び出してしまいました。結果5位。
しばらくはレースに出れません。一冬越せば直ると思います。
今回は富士スピードウェイが最後と言う事で、北は岩手〜南は九州から、我がチーム員が集合しました。
数少ないロードレースのセニアライセンス所持者、三井さん。(一番右)
私たちの先輩です。

マカオの帝王、井彰選手参上2003年4月富士のレースにて(レースは霧の為途中で中止)
こんなにカッコ良いプライベートプロフェッショナルロードレースライダーは見た事ありません、昔のレースリザルトでも見てみるとその戦績は見事としか言い様がありません、プライベートがワークスを負かしちゃうんですから!市販車でですよ!
プライベートのプロフェッショナルロードレースライダーは、後にも先にも照井選手しかいないのでは?
マカオでは今でもプロマイドが売っています。
ここ何十年かは、外国にいて、たまにしか登場していなかったのですが、サーキットに登場と言う事は、そろそろ復活ですかね?

2002年5月26日 筑波サーキット

マシンのセットやエンジンの事で、これからの課題が残るレースでした。そのへんを煮詰めていき、次の富士は、アンリミテッドに出場予定です。

2002年4月21日 富士スピードウェイのオーバー40レース

霧と雨のレースでした。私としては、情けない走りのレースでした。R1で3位でした。
前回300Rで転んだ為か?情けない走りしか出来ませんでした。サーキットも、たまには走らないと駄目ですかね!

2000年5月28日筑波サーキットMCFAJ旧車レース
20歳になったCB250RSで出場1位になった時のスナップです。
この後にエキスパート750のレースにSRX600で出場、レース中オイルを撒いているマシンがあるような気がして棄権、ピットに帰ってくると、チーム員が最終コーナーで縦に舞っているではないですか、マシンは大破!本人も結構痛い思いをしたみたいです。
人生初めての1位
やはり750クラスで走って1位になりたいですね!

2000年8月27日の茂木7耐のスナップです。
右から2番目が私です、今回はメカニックとして参加しました。
ホンダVTR1000SP1で参戦、水温の上昇に伴いラジエターの増設と加工をしました。
ノーマルエンジンで予選通過は大したものだと思いませんか?
レーシングメカニックとは的確な判断力と、より多くの気配りが必要であり、メカニカルな事は出来て当たり前であります。プライベートチームでは、マシンセットがどれだけ早くできるか、そのライダーに合わせてセットしてあげられるか、それが、なかなか出来ていません。ライダーは走りながらいろいろな事を試したりしてマシンをセットしてはいるのですが、不安要素が多く、不確実な部分が沢山あり、それを確実にしていくのもメカニックの仕事であり、速くセットする為には、タイムの稼げるカーブなどでライダーやマシンの姿勢等を見てあげて、セットをだすのもメカニックの仕事です。
私はメカニックでありライダーでもある為ライダーの気持ちもよくわかります。目標は、走ればライダーより早いスーパ−メカニックを目指して日々努力してゆきます。

1999年の11月28日、MCFAJの筑波のクラブマンTTのレースです。
750ccや1000ccにまじって、SRXで出場しました。スタートでは、エンジンがかからずに、ピットスタートになってしまい、最終ラップに1ヘヤで前のマシンに追いついた瞬間のスナップで、2ヘヤでは抜いたのですが、裏のストレートで抜かれ結果は、びりでした。
一番後ろが私ですが、その前のライダーとの違いが解るでしょうか、少し小さいので解りずらいのですが、ハンドルの向きが前のライダーが外を向いているのに私のマシンは、内を向いているのです。マシンを寝かせるまでの操作(バンキング)としては皆ハンドルを外に切りますが、その後の操作の事を言っています。(コーナリング操作)
さて質問です!
その時操作上で最大の違いが有ります、それは何でしょう?
又どうして、その様な事をしているのでしょうか?
アドヴァイスのページにも書いてあるかな?

1996年6月26日のシングルレースです。
筑波の1ヘヤのスナップです。
結果は2位でした。
1位には離されてしまいましたが、2位争いでは、面白いレースができました。
3番のマシンより後ろにいるのに人間がデカイ!
おかげでレシオが3番のマシンよりフロントが1丁小さくリアも1丁でかいんです!
ストレートでは凄い勢いで離されますが、コーナーで何とか・・・
レースとしてはつらい・・・・・


1995年12月17日の筑波のMCFAJのシングルレースのスナップです。
化け物の様なキャンギャルが二人も付き、サーキットが盛り上がったレースでした。
お陰でレースも入賞でき表彰台にあがる事が出来、後日二人には、ご褒美をプレゼントしました。
出来上がったばかりのマシンでセッティングも出ないレースでしたが、結果はまあまあの出来でした。


少し前のレースのカットです。
富士スピードウェイのMCFAJのエキスパート750クラスのレースです、77番が私です。
後ろに見えるゼッケン34番は2000年の鈴鹿8耐で亡くなった山川 守選手です。何時も全力で生きている尊敬できる、私の目標になる人でした。

謹んで心からご冥福をお祈りいたします。


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